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2010年12月25日土曜日

「ルポルタージュ・にしん」に見る、“昭和30年・ニシンが消えたあの日”

 ニシン。江戸時代後半から戦後にかけて約200年に渡り、増毛の経済を支えてきた魚です。しかし、昭和20年に4万トン以上水揚げのあったニシンはその後急速に数を減らしていき、昭和30年にはついに千トン台まで落ち込んでしまいます。ニシン漁が消滅の危機を迎えていたそんな頃、「ルポルタージュ・にしん」という本が安藤次男によって執筆されました。彼は凶漁にあえぐ当時の留萌・増毛を取材し、人々の動揺や困窮する暮らしぶりをリアルに記録しています。彼の出会ったほとんどの街の人は大なり小なりニシン漁に投資しており、漁獲の行方に目をギラギラさせ、「○○では千石とれたらしい」という根も葉もない噂に希望を託し、取材に来た著者には「なあに、まだまだこれからですよ」と応えながらもどこか不安を隠しきれない様子で遠くを見つめます。著者はそんな人々の姿を「目に見えない何ものかに魂を奪われている」と表現しました。

 第4章、「にしん場の子供たち」ではあまりの不漁に一家で出稼ぎに行った別苅の中学生の作文が紹介されます。「十月十日頃、家ぞく全部が、あばしりへゆくことになった。家には一せんの金もなく、春に使った道具などを売って、汽車ちんをこしらえた。」

 もちろん不漁で出稼ぎに行かけなければならないのは他の家庭も同様で、「村の人はあわれなすがたでいもほりにいく」、「毎日待っていた修学旅行がニシンのためになくなった」など、子供たちの胸の痛くなるような記述が続きます。“ルポ”という形で記録された人々のつぶやきは、統計資料などではとうてい知ることのできない生身の心情を描き出し、時代の熱気を伴って現在の我々に思いを伝えてくれるのです。

 / 小野