お問合せ
総合交流促進施設元陣屋
電話 0164-53-3522
Fax 0164-53-3523
増毛町教育委員会
電話 0164-53-2427
メール:
motojinya@town.mashike.hokkaido.jp
携帯サイト
電話 0164-53-3522
Fax 0164-53-3523
増毛町教育委員会
電話 0164-53-2427
メール:
motojinya@town.mashike.hokkaido.jp
携帯サイト
総合交流促進施設 元陣屋
総合交流促進施設元陣屋は、平成8年に増毛町が建設した文化交流施設です。館内には郷土資料室、図書室、会議室や多目的ギャラリーなどを備え、町内外の方に生涯学習・文化発信の場を提供しています。
また、郷土資料室では、幕末に秋田藩によって元陣屋が築かれ北方警備の拠点として機能した増毛町の歴史を学ぶことができます。
名称:増毛町総合交流促進施設 元陣屋(もとじんや)
住所:北海道増毛郡増毛町永寿町4丁目49番地
電話:0164-53-3522/ファックス:0164-53-3523
・開館時間
午前9時~午後5時
・休館日
毎週木曜日
※木曜日が祝日の場合はその前日
・料金(展示室)
大人・大学生 400円
高校生 300円
小・中学生 200円
※10名様以上は団体料金でそれぞれ100円引きとなります。
■会議室・ギャラリーの使用許可申請書(Excel)
■令和2年度の行事予定
えほんまつり……………………………………4月20日(月)
~ ~5月 6日(水)
こどもシアターvol.1…………………………8月22日(土)
こどもシアターvol.2…………………………9月11日(金)
ハロウィンでトリックオアトリート!……10月18日(日)
元陣屋まつり…………………………………12月13日(日)
また、郷土資料室では、幕末に秋田藩によって元陣屋が築かれ北方警備の拠点として機能した増毛町の歴史を学ぶことができます。
名称:増毛町総合交流促進施設 元陣屋(もとじんや)
住所:北海道増毛郡増毛町永寿町4丁目49番地
電話:0164-53-3522/ファックス:0164-53-3523
・開館時間
午前9時~午後5時
・休館日
毎週木曜日
※木曜日が祝日の場合はその前日
・料金(展示室)
大人・大学生 400円
高校生 300円
小・中学生 200円
※10名様以上は団体料金でそれぞれ100円引きとなります。
■会議室・ギャラリーの使用許可申請書(Excel)
■令和2年度の行事予定
えほんまつり……………………………………4月20日(月)
~ ~5月 6日(水)
こどもシアターvol.1…………………………8月22日(土)
こどもシアターvol.2…………………………9月11日(金)
ハロウィンでトリックオアトリート!……10月18日(日)
元陣屋まつり…………………………………12月13日(日)
2010年6月27日日曜日
へんてこな北海道地図が語るもの
へんてこな北海道地図が語るもの
(広報増毛「増毛歴史小話」より)
日本の北の端にある北海道。江戸時代末期までこの大きな島「蝦夷地(えぞち)」の全容は謎のままでした。元々和人が松前や江差など道南にしか拠点を作らなかったことや、国内における測量技術が未発達だったことが原因として挙げられます。蝦夷地は大きいのか小さいのか、島なのか大陸から出た半島なのか、地形的なこともほとんど知られていなかったのです。
写真は1621年、松前を訪れたイエズス会士ジェロニモ・アンジェリスによって描かれたものです。蝦夷地は東西に長い、本州よりも巨大な島として表現されています。西の端にはTexxoy(天塩)という表記が見られ、「松前から船で西へ○○日間行くと天塩に着く」といった情報から位置を特定したらこのような地図になったのではないかと考えられています。
1670年頃、日本でもようやく全国の地図を整備する動きが起こり各藩が提出した資料を基に「正保日本図(しょうほうにほんず)」が製作されました。松前藩による蝦夷地の地図は、縮尺はひどく狂っていて(青森よりも小さい!)形も楕円形というひどいものでしたが、沿岸を一通り調査したらしく、各地の地名を知ることができます。初めて地図上に増毛が現れるのはこのときで、マシケエソ(当時の浜益のこと)、ホロトマエソ(増毛のこと)、トママエソ(苫前)、それに暑寒別川らしきものもあります。
寺島良安が1715年に発刊した百科辞典「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」に記されている蝦夷地はとても縦長です。相変わらず形は違いますが、徐々に蝦夷地の調査が進んでいる証拠として、記録される地名が大幅に増えており、樺太や歯舞諸島等も描かれています。ヘツカリ(別苅)、ホロトマリ(増毛)なども記入されました。
天命5年の調査などを経て徐々に地図の輪郭は正確になっていき、1821年の伊能忠敬による「大日本沿海與地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」でほぼ完璧な測量による地図が完成します。しかし、この地図はあまりにも正確だったために軍事上の機密として公にはされませんでした。
地図上の蝦夷地が徐々に正確になっていく様、それは和人の支配が北辺に行き届いていく過程であり、島国日本が国土の防衛を意識していく歴史の再現とも言えるでしょう。