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2010年10月10日日曜日

明治の幕開けと文学作品

 明治時代は維新とともに突然その幕をあげました。増毛町も他地域同様、ニシン漁が隆盛を極め、人々はぞくぞくと海峡を渡って新天地を目指しました。しかし、開拓そのものは容易なものではなく、生きることのみを日々追い続ける、厳しい時代でもありました。
 生活に余裕が出て創造的な文化活動を人々が目指せるようになったのは明治時代も半ばを過ぎていたのです。こうした時代には漁業で潤う町の経済とはうらはらに、本州から流れてきた文人の「漂白の文学」とも呼べる作品が残されました。

 口語短歌の先駆者である鳴海要吉(なるみようきち)が青森からやってきたのは明治42年。彼は増毛小学校教師として赴任しましたが、滞在は一年間だけでした。ローマ字を生徒に教えたりエスペラント語を研究するなどの進歩的な気鋭が当時の風潮では社会主義者として危険視され、古丹別の山奥へ赴任させられた挙句、不敬罪で免職にあってしまうのです。
 その頃の要吉を主人公に、田山花袋(たやまかたい)が「トコヨゴヨミ」という小説を発表しており、この中で要吉は山田勇吉という名前で登場しています。教師の職を追われ、薬の行商で暮らす苦しい生活に加え、未だに危険人物として警察に監視される日々に不安を募らせた彼は「彼方から此方へと漂白して」行くのでした。

 また、明治40年に道立増毛病院に赴任してきた伊達李俊という医師を題材とした人物が、徳富蘆花(とくとみろか)の「みみずのたはごと」で安達医師として登場しています。彼は本州に戻った後精神を患い自殺して世を去りました。一年の三分の一を雪に埋もれて暮らす閉ざされた北国の生活に、安達医師の感じた言い知れぬ寂しさが綴られています。